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2012年02月24日

たまに思い出す昔の話

最近は奨学金を返さない人が多く、
滞納額が累計で1兆円を超えたいうニュースを見て、
突然大学時代のことを思い出した。


ぼくは奨学金をもらって大学に行った。
奨学金には種類が有る。
無利子で返済する奨学金、有利子で返済する奨学金、
そして新聞配達員として働くことで働きながら返済する新聞奨学金。
ぼくはこれを利用した。

高校時代、およそ受験勉強というものに中指を立てて生きて来たため、
模試の結果は散澹たる物であった。
それでも「ひょっとしたらどこかひっかかるかも」という思いをこめて
マークシートで受験できる私学を何校か受験した所、
母校である大正大学に合格した。
高一で英語数学理科社会をあきらめた人間からしたら奇跡に近い。

大学に合格すると
学資ローンという物が組めるので、我が家はここから200万円借金をした。
しかしこの200万は、ぼくの学費に充てられることはなく、
使途不明のまま闇に消えた。

もともと18を過ぎれば自立をする覚悟だったので、
自分で読売新聞に連絡をし、新聞奨学生の制度を利用させてくれとかけあった。

1999年3月、山口県防府市の田舎から、
死にたいくらいにあこがれた花の都大東京に、
うすっぺらいボストンバッグは持っていなかったので、
パンパンにふくれあがったリュックサックとともに上京した。

練馬区の西武池袋線・石神井公園駅。南口の坂を下った石神井川のほとり、
読売新聞YC石神井店の2階に着くと、
沖縄から同日に上京してきた年上のミュージシャン志望の男と一緒の部屋に寝かされた。

次の日からは地獄だった。
ろくに運動をしたことのない男がいきなり肉体労働である。
自転車に積む新聞の重いのなんの。
ハンドルがぐらぐら揺れる。
道が覚えられない、
転んで新聞をぶちまける、
配り忘れをして怒られる。
すぐに泣きたくなった。

そしてそのうちに訪れる雨、雪、台風、顧客のクレーム。
普通に生きていると雨の多い時期は梅雨ぐらいかなと思いがちであるが、
春雨、梅雨、台風シーズン、秋の長雨
本当はしょっちゅう雨期がある。
それは新聞配達をすることで骨身に沁みてわかった。
日本中、いや、東京だけでいいから砂漠化しろ、と思った。
雨の日は、自分は濡れても新聞は濡らさないように最新の注意を払いながら配達をするが
それでもぬれるものはぬれる。
台風の土砂降りだと、ビニールをかぶせた自転車カゴから新聞を取り出して
ポストに入れるまでの間に新聞がびちょびちょになることもあった。
本当に泣きたくなった。

何があろうと、途中車にはねられようと、くる日もくる日も朝夕刊を配り続けなければいけない。
常に「こんな仕事辞めてやる」という想いがつきまっとっていた。

そうでなくても脱走率、つまり底辺労働者用語で「飛ぶ」確率が異常に高い新聞配達員。

「辞めてやる」「辞めてやる」と思っても、
大学の学費は販売店が既に払っている。
「辞めれば即一括返済」が目の前をちらつく。辞めるに辞められない。
最初に前借金で縛り付ける、吉原の花魁というのはこういう気持ちだったのかなと
ふと思ったりもした。

結局3年半で辞めてしまった。
「芸能活動に専念する」
というのが表向きの理由だったが、
逃げたことには間違いない。

理由は3つあった。
一つ目が「もともとお笑い芸人になりたくて上京した。そして事務所が決まった」こと。
すぐにつぶれた事務所だったが、後に人生の転機となる
深夜番組に出演させてもらったりしたので、後悔はしていない。

二つ目が「経営者が代わったこと」。
ぼくは今もそうだが、情に流されやすい。
「使い物にならない」「リストラ」「クビ」と言われている人間も、
安くていいからどこかでワークシェアリングできませんかというのがぼくのスタンス。
しかし販売所の経営者が変わったとたんに、鬼のリストラが始まった。
次々に首を切られるまわりを見て、ついつい感情的に「辞めます!」となったこと。

三つ目が「ネズミ問題」
上京一ヶ月ほどで、駅から徒歩20分、バストイレ付き家賃55000円の木造アパートを斡旋され、
そこに快適にすんでいた。
しかし3年が過ぎたころ、上に引っ越して来た住人がネズミをつれてきてしまった。
それからは水道管は破られて台所が水浸しになる、
部屋のあちこちがかじられる、食料品がかじられる、夜中に走り回る。
満足に寝ることができなくなってしまった。

ネズミが出る前、ハムスターを飼っていた時期があった。
しばらくして脱走してしまい、
それっきりカゴもひまわりの種も置きっぱなしで生活をしていた。
しかし、新天地にやってきたネズミどもがこのエサに食い付かない訳が無い。
しばらく気付かず過ごしていたが、
ある日帰ると、ひまわりの種を「ボリボリ」「ボリボリ」と食べる音が聞こえる。
おそるおそる戸を開けてみると、
子猫くらいの大きさのネズミが、一心不乱にひまわりの種をむさぼっている。
思わず「うおおおおおおおおおおおお!」
と叫ぶと、ネズミがこちらへ振り返り、
右を見て左を見て、ぼくの後ろしか逃げ道がないと悟ったネズミが、
どどどどどどどと、こちらに向かって走り出した。
「うっひゃああああ!」
と片足を上げてネズミをかわす。
ネズミは縁の下へ消えて行った。
これはもうここには住めないと思った。

色んなことが重なって、辞めるという選択に至った。
今思えば、きちんと卒業していた方がよかったと思うが、
その時はとにかく逃げることしか考えられなかった。

石神井公園で葵寿司という店が、年数回落語会を開催していた。
そこに常連で通っていたし、そこが配達区域だったので毎朝夕と新聞を配っていた。
落語家になるにあたって、誰か保証人をつれてきなさいと言われたので、
葵寿司さんにお願いをした所、快く引き受けてくださった。
こんなしっかりした保証人がいるならと、入門を許された。
いまだに葵寿司さんには足を向けて寝ることができない。

「いやだ」「いやだ」と思っていた新聞配達だったが
その新聞配達がきっかけで、落語家になれて現在に至る。


これも不思議な「縁」だ。
posted by 鈴々舎馬るこ at 03:00| Comment(0) | 日記
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